そして、いよいよ日本の最大紙幣である1万円札の顔が
「福沢諭吉じゃなくなるんだぁ。なんか寂しいなあ。」
「でも、なんで渋沢栄一なの?」
1万円札の顔は日本の顔である
つまり、
紙幣にしようとは思わない
政府や財務省が渋沢栄一を選んだ理由は
「新元号にふさわしい」
という抽象的な理由でした。
その裏にある本当の理由を紐解くことで、
今後の
福沢諭吉と渋沢栄一の共通点
2人は同じ時代に生きています。
福沢諭吉:1835/1/10〜1901/2/3(66歳没)
渋沢栄一:1840/3/16〜1931/11/11(91歳没)
明治26年6月11日、福沢諭吉が発行する新聞である[時事新報]の中で、以下のような内容が掲載されています。
「政府の役人になることだけが出世の道だと思い込んでいる人が多いが、そんな夢からはやく目覚めてほしい。
実業の道に進んで、今はこの社会において最高の地位にある、
福沢諭吉と渋沢栄一の相違点
福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で孔子(論語)を批判しています。
一方、
渋沢栄一は
なぜこのタイミングで渋沢栄一なのか
渋沢栄一は
彼は、1926〜1927年の間に2度、ノーベル平和賞にノミネートされているような人物です。
彼は、
さらに、初代造幣局(大蔵省)のトップにいた官僚です。
官僚時代、そして官僚を辞めた後、彼は様々な功績を残しています。
渋沢栄一の功績
郵便制度の導入、廃藩置県、戸籍法、鉄道の開業、新貨幣(円)の導入、富岡製糸場、「銀行」の名付け親、みずほ銀行(第一国立銀行)、地租改正、東京ガス、KDDI、一橋大学、日本赤十字、損保ジャパン、キリンビール、サッポロビール、など、
そんな人物が、なぜ今までお札になっていなかったのか。
お札の顔にならなかった本当の理由
「実は、彼には黒い裏の歴史があったのではないか。」
「実は、叩けばホコリが出て来るのではないか。」
いいえ、違います。
今まで彼は、何度も何度もお札になる候補に挙がっていました。
しかし、何故ならなかったのか。
理由は「ヒゲがなかったから」です。
当時のお札の印刷技術では、完璧に偽造を防ぐことができませんでした。
そんな中、少しでも偽造をしづらくする為に、
という事実があります。
当時、新千円札の候補に渋沢栄一が挙がっていました。
しかし結果、
ヒゲがフサフサの伊藤博文を採用したそうです。
そして令和の時代になり、ようやく印刷技術が渋沢栄一に追いついたというわけです。
※少し前に、5千円札に女性の樋口一葉が採用されました。
これは、1万円に渋沢栄一を採用する為の検証と根拠のためと言われています。
ヒゲのない渋沢栄一を日本の最大紙幣である1万円に採用する為には、その工程を踏む必要があったということです。
渋沢栄一の名言
当時、日本を近代化する為には、いろいろな知識をみんなに伝えなければならない。
その為には、本や書物が必要だ、ということで、良質な紙を作るために製紙工場を造りましたが、道のりはとても厳しく大変な苦労があったそうです。
その際のエピソードの中から生まれた名言です。
紙を作る為の大型設備を海外から輸入しました。
海外から技術者を呼び、設備の使用方法をレクチャーしてもらったが、全くうまく動かなかった。
その際に途方に暮れた渋沢栄一がメモに残していた名言が、
だそうです。
日本が1万円札の顔を福沢諭吉から渋沢栄一に変える裏の理由
①福沢諭吉の言葉を今の日本に投げかけている
「政府の役人になることだけが出世の道だと思い込んでいる人が多いが、そんな夢からはやく目覚めてほしい。
実業の道に進んで、今はこの社会において最高の地位にある、渋沢栄一の生き方こそが、もっとも模範とすべきものである。」
②論語(孔子)の教えを再び日本に植えつけようとしている
論語は儒教の経典の1つとされているが、それは孔子としては不本意である。
つまり、
まとめ
日本の未来は、
「公務員が一番の出世である」という考えから、
おわり。