歴史から学ぶ お金のない室町幕府の収入源は巨大なサラ金業だった

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参考文献:
「ビジネスに役立つ商売の日本史講義」藤野英人 電子書籍

足利幕府の財源の秘密

徳川幕府が治めた江戸時代は約300年続きましたが、それと同じくらい長く続いた時代が室町時代です。

室町時代は足利幕府が治めていましたが、
他の時代に比べて国のお金が無い時代であったようです。

とはいえ、足利幕府も資金調達のいい方法はないかと常に考えていました。

そこで、生み出された資金調達方法が
巨大なサラ金です。
つまり、貸金による利子収入です。

利子収入と資金回収の仕組み

倉庫屋(土倉)と酒屋

仕組みはというと、
まず、今で言う銀行のように全国各地にある業種に、お金を貸します。

その業種はというと、
倉庫屋(土倉)、酒屋、お寺です。

倉庫屋と酒屋は、当時お金と同等の価値があるお米を倉庫に所有していました。

酒は飲む米ということです。

倉庫屋と酒屋は米、酒、貨幣を一般庶民に高金利で貸し付けます。

それにより、利子収入を得て、幕府に収めていました。

ところが、貸し付けた後の返済が滞っていたのも事実のようです。

そこで、幕府は考えました。

当時、お金を借りている人の大半は武士であったことを逆手に取り、借金をしている武士をとりたて屋として雇うことで、回収率をなんとか維持していました。

しかし、武士同士の殺し合いが横行し、問題になったのも事実です。

お寺

次にお寺はどうかというと、
貨幣を一般庶民に高金利で貸し付け、
利子収入を得て、幕府に収めるところは同じです。

倉庫屋・酒屋と違うところは
資金回収率が元々高いというところです。

理由は2つあります。
①お金を返さないとバチが当たるという
宗教的考えがある

②資金回収は、武装僧兵が行う

①は宗教に依存した人間哲学が返済責任を強くするということです。

②は弁慶のような、なぎなたを持った武装僧兵が資金回収に行くことで、命を奪われるくらいなら、返済したほうがいいという心理が働くということです。

このようにして、
足利幕府は資金調達をしており、資金の大半はサラ金業務によるものだったのです。

おわり。

参考文献