参考文献:
「日本人の9割が思い違いをしている問題にあえて白黒つけてみた」武田邦彦 文友舎
日本が強い理由
①初代天皇である神武天皇以来2000年の歴史がある国は世界に日本しかないこと
②シザー、始皇帝、チンギスハンなどのどんなに歴史に名を残した偉い人でも、その遺伝子というのは地球上から消え去っているということ。
日本の天皇は、神武天皇の遺伝子と今の天皇の遺伝子が同じであるという、
天皇の役割が大きい理由
かつて日本を侵略しようとしていたイギリスは、天皇制はそのままに、天皇を裏から操る形で日本国土を奪おうとしていました。
そして、アメリカも第二次世界大戦後、GHQによる統治を行いますが、やはり天皇制はそのままに日本国統治改正を行いました。
このことは、日本にとって天皇がいかに必要な存在かということを物語っていますし、
民族の覚醒
民族というものは、ある時突然目覚めそして変化します。
例えば今のイタリアを見て、かつての帝国ローマを思い出す人はいないということです。
それと同じように、
現在のモンゴルが、世界を制覇したあの大モンゴル帝国と同じ国であるというのは想像できないのです。
世界を制覇した大モンゴル帝国
当時フビライ・ハン率いるモンゴル帝国(元寇げんこう)は当時、アジア全土を支配し、中国・モスクワをも支配し、さらにヨーロッパも深くまで攻め入り、当時勢いのあったイスラム諸国を全て支配しました。
そして次は日本に攻めてきました。モンゴルは歴史上2度日本に攻めて来ています。
日本は小さな国です。なのでモンゴルから見れば、フィリピンやインドネシアと同じような小さな島国で、いわば野蛮人が住んでいるというようなイメージで、ある程度の兵を派遣すれば侵略出来ると考えていました。
モンゴル帝国を初めて撤退させた国が日本
文永の役(1274年)
しかし、現実は違いました。
モンゴルが派遣した兵は26,000人、船は900隻でした。
始めに対馬に上陸し、島の人々を虐殺しました。
次に博多に上陸しますが、その頃には、日本本土にもモンゴル侵略の情報が入っており、抗戦の準備はできていました。
鎌倉幕府の北条時宗が各藩に命じて抗戦の配備を行います。
モンゴルは陸に上がり、陸上戦となるが、数キロほどしか入れません。
なので、
一方日本は、昼夜問わず小舟を出し、火矢を放つなどし奇襲戦法で攻め入ります。
そうしている間に、モンゴルの船は台風に遭い被害を被ったため引き上げて行きました。
これが文永の役です。
弘安の役(1281年)
文永の役から約7年後に再び日本に攻めてきます。
朝鮮から40,000人、南京から100,000人の合計140,000人(最初の約5倍)の兵を率い、そして船も5倍の4,400隻を用いて攻めてきます。
しかし、また同じように、陸に基地を作れず、台風が来て退却します。
日本の教科書の間違い
日本の教えは、「神風によりモンゴル(元寇)が退却していった。」と教えていますが、実は、戦い自体は互角で膠着戦のまま、元軍は陸に拠点となる基地を作ることが出来なかった。
そして、台風が来なくてもそのうち食料が尽きて、結果撤退することになっていたと考えられます。
まとめ
天皇による統治が日本を強国にした。
戦国時代の日本は、
別な視点で言うと、
おわり。